南京を書かなければ、次にいけない!と思い
細かく分けねばなりませんが、チマチマ書くことにしました。
8月2日(土) 朝:小雨
ついに最終日です(笑)
が! 一回では終わりませんので、あしからず・・・
前日の一件があり、一睡もできなかった為
朝食をとることができなかった… 一人修学旅行としては駄目ですね!
寝るとき寝て、食べるもの食べないと ヽ( `Д´)ノ
その日の汽車は17:30だったので
結構時間がありました!


▲ ありがたいことに雨がやみました (´▽`)ノ

▲ 目的地は 世界遺産にも登録されている 【明孝陵】
ここは明朝の太祖 洪武帝(朱元璋)の陵墓で、
洪武14年(1381年)に工事が始まり、永楽3年(1405年)に完成しました。


▲ 墓に続く路には、沢山の門や史跡が残されています。
そしてお墓までの道のりは、結構遠いです・・・
※ 遠くに見えるのが文武方門

▲ この文武方門は、つい最近修復作業が行われたようです。

▲ 埋葬場所まで行きましたが、生憎工事中・・
ここまで結構歩いたのに、とても残念です

▲ しかしフェンスの隙間から、中を撮影〜♪
あぁ・・ 中まで入りたかったよぉ・・
仕方ないので、あきらめて近くにある人工池へ

▲ 途中見た澤も、前日の雨でこの通り!すごいことになってました

▲ 明考陵の北東に位置する、この人工池は
夏は避暑地としてにぎわうそうですが、本日はこの通り・・・
が!しかし

▲ ・・・・
遊泳禁止にも関わらず、そしてこの濁った水にも関わらず
沢山の人たちが避暑ってらっしゃいました(爆)
ってゆーか・・このおじさん、体洗ってたよ!?
意味ねぇ――――(゜∀゜)―――!!
しかもこの先、さっきの澤だよ!
避暑っつーか命がけぇ――――(゜∀゜)―――!!
手前に映ってる中国人に
「 なんであんなん撮るの? 」 って聞かれましたよ(爆)
説明できねぇ――――(゜∀゜)―――!!
しかもちょくちょく来てる地元民曰く
毎年、こんなことして人が死ぬらしいです(爆)
もぉやめてくれぇ――――(゜□゜;)―――!!
ホンマね・・
遊泳禁止って書いてあったら
やめたほうがいいよ
理由があって書いてるんだからさ
この池の周りは散歩することができます。
さっきみたいに、泳いだり、水浴び?したりしている人もいれば
釣りをしている人もます・・ 危ないよぉ・・

▲ こ〜〜〜んな大きな魚をとった人がいましたよ!
この池の主だったかも(爆)
これ帰って食べるんですって♪
こんだけ長く紹介しましたが、この場所まだ終わってません・・
写真が多くて・・ ごめんなさい(涙)
壊れたPCと友達のPCを駆使して、またすぐさま書きます〜♪
今から仕事行って来ます! 学級崩壊その後はいかに!!
あたしゃ負けないよ(笑) by大和魂
ご覧頂く皆様へ
本日記載の写真また内容は、一部衝撃的な物を含んでおります
ご気分など優れない方、または内容に不快を感じる可能性のある方は
閲覧をお控え頂きます様、何卒宜しくお願い申し上げます
8月1日(金) 午後3時過ぎ 土砂降り
明故宮を後にした私は
その足である場所に向かった。
研究調査で事前に足を運んだ中国人と日本人の友人に情報を聞いた時
「 …行きたいなら行けばいいけど、一人で行くのはおススメしない 」
と言われた場所です
ご存知の方も多いと思います そう

▲ 南京大虐殺記念館です

▲ 2004年にはまだ閑散とした記念館だったようですが
現在はとても立派な建物へと変わっていました
※ この写真は2004年の物です
正直・・ 何からどう話していいのか分かりませんが
非難を受けることを覚悟で思いを書きたいです。
私の日記ですし、私がその時思ったことを残したいからです。
皆さんはこの記念館が、何の記念館かご存知でしょうか
インターネットで検索てしても、ざっと3万件はヒットするこの出来事は
日中戦争初期1937年(昭和12年)日本軍が当時の首都南京市を占領した際
約6週間(2ヶ月)にわたり、多数の中国軍捕虜や一般市民を
不法に虐殺したとされる事件であります。
日本では恐らく【南京大虐殺】という呼び名では学習しておらず
【南京虐殺】もしくは【南京事件】としていたと思います。
この問題は現在でも日本側と中国側、またその他の研究者の間で
死亡者数や他の出来事に関して様々な議論が続けられています。
話は変わり私の事なのですが
私の故郷広島は、世界最初の被爆都市として有名です。
また戦争の影響もあり、在日中国人・韓国人の方々が多く生活していらっしゃいました
その為幼少期より日本側から見た平和教育以外にも徹底的に教育されてきましたので
この南京の事件の映像・写真はすでに中学生の時に見ていました。
ですから、戦争に関する知識は、恐らく他県で生活してきた方よりも
染み付いていると思います。
そして私の母方の祖父は若かりし頃満州へ渡り、ロシアの捕虜になり
数年後、仲間の遺骨とともに引き上げ船で舞鶴へ戻ってきた人で、
父方の祖父は明治生まれでしたので、戦争という戦争は経験してきた人でした。
私の祖父は二人とも、戦争についてあまり話したがらない人でしたが
現在も健在の母方の祖父は、高齢になりやっと少しずつ話を聞かせて
くれるようになったんです。
敵軍に向かう友が、隣で頭を打ちぬかれた話
捕虜時代、食事がろくに取れずバタバタと死んでいく人を毎日見て
ロシア人が食べないわかめを海岸で拾い、ポケットにこっそり詰め込んで
仲間と食べていたなどです。
私が上海に来た当初、祖父は随分心配し手紙をくれました。
祖父が上海の地を踏んだのかどうかそれは分かりませんが
中国にいた祖父の目に映る上海は、ひどいところだったようです。
そんな一生懸命生きた二人の遺伝子を受けた私
そして平和教育も徹底的に受けた私
そして何より、今中国にいる私
色んな思いがあり、どうしてもこの記念館は行きたかったんです。

▲ 記念館の中は薄暗く、沢山の写真や遺品などが展示してありました
その一つ一つに中国語・英語・日本語で説明がありましたが
やはり、日本人としてそれを読むと、極端に解釈してると思うことも正直ありましたし
そんな訳し方しなくても・・と思う箇所も少なからずありました。
日本人ですから、漢字の意味はダイレクトに脳に伝わります。
大きく書かれた被害者数や【殺】という文字を見るたびに
心拍数が上がるのが分かりました。

▲ これは2004年の写真です

▲ 現在館内は撮影禁止になっていますが
この写真と同じように、その時の遺骨を目にできる展示がしてありました
館内を歩く 日本人の私
周りはみんな中国人です
中国語で日本人の事を中傷します
同然です。こんなもの見たら誰だってそう言います。
何度も出てくる、人が殺される写真
日本兵のあざ笑う写真
日本刀を振りかざす兵隊
生首の山
転がる死体
子供の水死体
怯えた人たちの目
辱めにあった女性・・・
中学生の時に見た、あの映像が瞬時に蘇り、瞳孔が開くのが分かりました。
途中から私の耳には周りの発する 中国語の 【日本・riben】と
【日本人・ribenren】しか入らなくなってきました
頭の中で、自分がこの土地で今こうしていること
私の中国人の友達、そして日本語を学ぶ生徒達の事
家族と国を守るために戦った祖父の事、色んなことがめぐりました。
単純な思考ですが
【悪い】いや【悪くない】こんなことまで頭をめぐっていました。
展示の中には映像も数多くあり、その中には当時の事を知る
元日本兵の証言もありました。
彼らは
「やらなければ終わらないと思った」
そう言っていました。とても悲しいことです。
例え意に反していても、したことはしたこと
でも、したくないのにやらざるを得ない、こんな辛いこともありません。
戦争が何を生み出すのか私には理解できません。
中国人の友達が以前言っていたことは
「あまるから戦争になる」
という言葉でした。
2人いて、食べ物が2つだけなら問題ないのに
もし3つあったら、その1つを奪い合うことが戦争だと言いました。
そうでしょうか。
足りずに奪い合う戦争もあると思います。
でも、足りなくても余っても、戦争という手段が私は嫌いです。
沢山の展示品を目にしましたが、現在この記念館は本当に広くなっています
とても1・2時間では周りきれません。
暴風雨の中ここまで来ましたので、1時間半くらいしか時間がなく
結果途中まで見て警備員に追い出されてしまいました。
外は暴風雨、中国人が皆ロビーで雨宿りをしていたので
私もしばしそこで雨宿りをすることにしました。
一人の警備員が私に近寄ってきて、「貴方はどうやって帰るの?」と聞くので
「タクシーで帰りたいけど、この雨では難しいですね」と答えた。
すると警備員が私の中国語を聞いて
「あなた・・・日本人?それとも韓国人?」
私は正直に答えました。
「私は日本人です」
どんな事があっても、私が日本人であることは事実ですし、
ここで嘘をつくことは、自分を否定することのように、その時感じたからです。
その後彼は、雨宿りをしている数人の中国人に
「この子日本人だよ」
と言い出したので、少し覚悟をしました。
この展示を見て、何も思わないわけない。罵声を浴びせられるのかなって。
一人の中年男性が
「一人で来たの?なんで上海からわざわざここに?
君はここがどんな場所だか分かって来たんだよね?」
と聞いてきたので、上記の事情を私なりに一生懸命説明しました。
彼は
「そう、わざわざ雨の中来てくれて有難う、私は嬉しいですよ」
と言ってくれましたが、その思いは複雑で、首を横に振りうつむく私に男性は
「あなたは悪くない」
そう伝えて雨の中どこかに行ってしまいました。
しばらくして、ここにいても警備員が帰れないだけだと思ったので
外にでることにしました。

▲ 道路はもう川になっていました
朝は小雨だったのに、私がこの記念館に着いてからは、大粒の雨そして風
記念館で会った人たちは、私に何も言わなかったが
当時この事件に関わった全ての人が私の上で泣いている気がした。
夕食を食べる気持ちがあまりなかったが、随分歩いたし
何か食べようと思った。
暴風雨の中、営業しているお店はほとんどない。
やっと見つけたお店は
日本料理屋で、仕方なくそこに入って少しだけ食べた。
南京の方、そして日本人の私が日本料理を食べる、作っているのは南京の人
なんだか複雑な味がした。
その夜ホテルに戻り、シャワーを浴び、ベッドに入ったが、全く眠れない。
疲れているはずなのに、沢山の事が頭の中から離れず眠れない。
そしてほとんど眠れないまま朝が来た。
今日はどんな思いで南京市内をめぐろうかと、思った。
あの史跡も、あの場所も、かつて日本人が占領した場所で
暴行や略奪などが行われた場所かもしれない。
最終日に資料館に行けば、こんな思いはしなかったとも思ったが
こんな気持ちで街をまわることも、きっと大事な事なんだと
はじめの気持ちを打ち消した。
後日色んな人にこの話をし、沢山の意見を頂いた。
日本を弁護するものもあったし、その逆もあった。
勿論どちらにも偏らない意見もあった。
責任を明確にする人、歴史的なことに基づいて話す人、
女性として、母としての意見を伝える人 本当に様々だった。
私は答えは一つではないと思っています。
それは全て人間によってなされ、人間が受けたことだから。
起こったことは一つでも、受ける人の思いは千差万別です。
しかしただ一つ、こうして考え続けること、忘れないことは
大切ではないかなと思いました。
今回の日記で、少しでも多くの方に、身近に起こっている争いについて
考えて頂く機会になればと、願ってやみません。
私の個人的な思いで、気分を害された方がいらっしゃると思います。
本当にごめんなさい
8月1日(金) 午後:小雨
南京博物院を後にし、昼食を取る

▲ こんなに!こんなに汚い厨房・・
でも、これはまだまともな方でした (゜□゜;)
周りはもっと汚いところばかりで… まぁ仕方ないです


▲ 注文したのは【麻婆豆腐】と【酸辣汤】
野菜は洗ってなさそうだし、お肉も危険そうだったので、豆腐系にしました(笑)
皆さんは、この厨房見て食事できますか…
お腹も少し落ち着いたので、そこから数分のところにある 【 明故宮 】 へ行きました

▲ いい具合に雨で浮き彫りになっています(笑) 結構広いですね
この 【 明故宮 】 は明朝の宮殿跡で、永楽帝の時代に北京へ遷都されるまでと
明末に小朝廷の皇宮として使用されていました
現在は明故宮広場として整備されていてます
(注) 広場は道を挟んだ向こう側にも続いていますので、見落としのないように!
入場料1元と書いてありましたが、誰も払っていませんでした…
というより、受付の人もいませんでした… 雨だからかな(笑)

▲ この門は 【 午門 】

▲ ここまで色々写真を見ていただいてお分かり頂けると思うのですが
南京はとにかく木が多い!
なんと中国全土で、住民一人当たりの木が一番多いとか (´▽`)ノ
地元の人の話なので、真偽の程は定かではありませんが…
にしても!木が多い! 中国でこんなに鳥のさえずりを聴いたのははじめてかも(爆)

▲ もっと奥に行くと、玉座がありました
写真をお願いしますと人に頼み、皇帝っぽく威張った感じで写りましたが、
傘を差したバックパッカーでは、威厳はゼロです(笑)

▲ かわいい獅子ママ発見♪
この獅子、2本の足でたっちしてる獅子なんですよ〜 (´▽`)ノ かわいいね♪
日本にもいる獅子ですが、皆さんは雄と雌の区別はつきますか?
一番よく言われる見分け方は
子供を抱いている方がお母さん、玉で遊んでいるのがお父さん ですが
私が小学生の時、どっかのおじさんだったか先生だったか、とにかく男の人に
ある見分け方を教わりました (゜∀゜)ニヤ
それは、口を開けたのはお母さん、口を閉じたのはお父さん というものでした
◎○◎ オッサン的理由 ◎○◎
いつもガミガミ言って口を閉じない → 女 ( お母さん )
いつもそのガミガミに耐え、歯食いしばる → 男 ( お父さん )
…
・・・
・・・・
オッサン… リアルすぎるよ (爆)
でもこれで私は、雄・雌の見分け方を覚えました (爆)
そして、この話はとりわけオッサンにうけます (笑)
話は随分それましたが、この 【 明故宮 】 ちょっともの寂しい感じですが
とても貫禄のある場所でした
そして皆さん♪ 獅子を見たら是非このネタを披露してみてください
【注】 オッサン限定
お〜い まだ2日目も終わってないよぉ〜〜
8月1日(金) 午前:小雨
玄武湖をあとにし、一路南京博物院へ
南京博物院までは、バスを利用しました

▲ 南京博物院到着!


▲ 【博物館】と呼ばれるものは沢山ありますが、南京は【博物院】
これは中国最高峰の博物館のみ【院】の名であり
博物院と呼ばれるものは、北京の故宮博物院と、南京の2箇所のみなんです
日本の各地でも、この博物院所蔵の展覧会が開かれました

▲ 入ってすぐ右にはこんな棒が野ざらしに
これはかつて、馬が逃げないように紐をつないでおいたものだそうです


▲ 先には猿や獅子など様々な物が、彫刻れていて、見てて楽しかったです
後で、日本の展覧会のポスターを見たんですが
メインになっていたものが、外で雨ざらしになっていたので
な〜んだ・・こんな扱いか・・ って、少しがっかりもしました・・・
中に入ると、沢山のブースがありました
まずはじめに見たのは、【 織物のブース 】


▲ 色とりどりの刺繍が施された衣装も展示してありました

▲ 前の写真(左)の右下にある小さな衣装
こんなに小さいのに本当によくできている♪

▲ この織物は、こんなに大きな織機で仕上げられていました

▲ しかも上下二人がかりなんですよ! 縞々の服の人見えますか? すごいよ (゜∀゜)
▼ 違うブースにはこんな物も

これな〜んだ ( '-' )
これは 昔使われていた 【 囲碁 】 です
なんかこっちの方がデザイン性が高い気がする(笑)


▲ これは 【 超高級孫の手 】 (´▽`)ノ
はじめこれが何がさっぱり理解できなくて
恐らく学芸員であろう人に尋ねました
すると、帰ってきた答えが 【 孫の手 】 嘘?? 本当に??


▲ 中国の博物館に行って、いつも感心するのが
本当に仕事が細かい

▲ 個人的には 【 桃のモチーフ 】 は大好き♪
あんなに早く起きたのに、じっくり見てたら時間があっという間に過ぎ
お腹もすいてきました・・・・
さて・・ お昼ご飯お昼ご飯
ということでまた明日〜 ☆彡
長くてすみません(爆)
今夜8:08 オリンピック開会式ですね
とりあえず、見てみることにしますが
外には出ない方がいいと、周りの中国人にキツく言われました
それからもう一つ
昨日の【亀ゼリー】なんですが
頂いたコメント + 友人の意見を総合したところ、やっぱり煮出すんでしょうね(笑)
ホンマ まっっっったく 【煮出す】 という方法が、頭に浮かびませんでしたよ(爆)
世界の何人が、亀コリコリを想像するのか、不安になってきました(笑)
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*
昨日日記を読んでくださった皆さん
馬鹿な私の想像にお付き合いくださいまして、本当に有難うございました(感謝)
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*
今日の日記は引き続き南京です (´▽`)ノ
8月1日(金) 朝:小雨
2日目7:00 一人修学旅行の朝は早い 眠い目をこすり起床

▲ 近所のお店で朝ごはん
お粥・ザーサイ・そしてケーキみたいな饅頭
食事を終え、そこから歩くこと15分

▲ 見えてきました 【 玄武門 】
手前のおじさんがツボ(笑)

▲ 立派な門ですね
この門をくぐると、そこは

▲ 【 玄武湖公園 】 です
写真中央少しこんもりした建物があります
あれが南京駅です、今ちょうど南京駅の湖を挟む向かい側にいるわけです
この湖、なんと黒龍が現れたという伝説があるんですよ
そして、宋・斉の王朝や呉の孫権が
ここでで水軍の訓練を行ったことでも有名な湖です (´▽`)ノ
現在は周囲約15kmの公園で、南京市民の憩いの場にもなっています♪
この日も小雨の中、公園には沢山のお年寄りがワイワイ言ってましたよ

▲ 森林と壁の間を散歩できるコースもありました
すごい数の蛙が鳴いている中、一人のおばさんが
大声で叫んでました・・ これも鍛錬だそうです
( 正直怖かった・・ 日本なら警察来るかも・・ )
私が歩いたコースは無料でしたが、有料で入る場所もありました
朝の散歩は気持ちよかったです
南京のご紹介、まだまだ続きそうです



